だりブログ

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コンデジ写真中心に、旅に絡めた日常をアーカイブ。

デザインのアイディアが枯渇したとき、上司が私に教えてくれたこと。

ある物件の写真撮影スポットのデザインを考えている。

限られた予算の中でどのようにして形にするか。

アイディアの枯渇に悩みながら私は半分あきらめている。

そんなときに上司がアドバイスをくれた。

 

・立場を変える。

 私は建築設計事務所に勤めているが、建築家としての立場からいったん離れる。

 -グラフィックデザイナーならどうするか?

 -写真家ならどうするか?

 -舞台監督ならどうするか?

 -飲食店オーナーならどうするか?

 -子供ならどうするか?

 etc...

 いろんな立場でアプローチしてみる。

 

 アプローチって。。そんな抽象的なこと言わないでほしい。

 (そこまで手取り足取り教えてもらわないと何もできないのだ。)

 でも何か腑に落ちることを思いついた。

 

 「演じる」のだ。

 せりふが覚えられなくて劇団を1年で辞めた私にとって、台詞がない演劇は

 楽しくて仕方がないはず。

 

 デザインは演じること。

 そう教えてもらった。もう少し自分の手で動かせるようになるには時間がかかりそう     だ。

 

・「ここを見ろ。」と仕向ける。

 写真撮影をすることに焦点を当てている話だが、

 意図した撮影方法を狙う。

 自分が写真を撮影するとき、どのように撮影するか?

 自分が被写体になり、背景と併せて撮影されるか、

 自分が一人でその背景を被写体として撮影するか。

 撮り方は違うかもしれないが、その撮影スポットの使われ方を仕向ける。 

 これも難しい。

 

 でも、少し経って「っは」と気がついた。

 「デザイン」されているものって全てそうなのだな。

 「仕向けられている。」のだ。

 そしてその通りに受け止められるとうれしい。(違っていてもいいけど)

 

 たとえば本もそう。

 最近本を読むことの重要性についてtwitterでみかけたのだけれど、

 (それを話している人のことを全面的に支持しているので共感した面もある)

 読書は対話なのだ。書いた人の気持ち、意図しているところを「こうかな」って考て

 て汲み取る作業。それが本であり読書なのだ。

 だから本もデザインされている。仕向けられている。

 

他にもいろいろゆわれたけど、この2つのことくらいがグサっときた。

後、考えすぎで顔が怖いっていわれたかな。

まあそれはいい。