だりブログ

だりblog

コンデジ写真中心に、旅に絡めた日常をアーカイブ。

他人目線と動機、そして矛盾へ。(日常の出来事に対する自分の心のリアクションから、己を分析かつ攻略法を考える。)

とりあえずダーーーーーーット書いたので、めちゃくちゃ読みにくいっすすいません。

 

今日はもう自転車をこぎながらグツグツと湧き上がる感情をどこかにぶつけたいと思いブログを書くことにする。

やっぱりブログが一番だね!(久しぶりに書いたけど)

 

今日の出来事はこれ。

 

後輩が私の友人の友人と繋がってロゴのデザインをする仕事を依頼されることになった。のだ。

しかもその友人というのは私がものすごく尊敬していて結構好きな友人だ。

ももっと仲良くなりたいと思っているけれど、片思いなのだ。

 

そんな時のリアクション。

「すごーい!!楽しそうだね!!頑張ってね!!」と思いたいところだが

 

心の底から羨ましい&クソーーーーーー!と思った。

 

私もそんな仲間に入っていろいろ面白いことしたい!!

 

私が紹介したイベントから、個人的に面白いと思う人と繋がってたまたま、

 

仲良くなって仕事をするようになっていく。

 

なんて小賢しいのだ!!!と思った

のだ。

 

というのも、

 

私の場合、どんな人と知りあっても、そこからの発展は一切ない。

 

だから決まって

自分は本当につまらない人間だといつも思うようになる。

 

上のような現象が今まで数知れずあった。

 

1、人に会う

2、話す

3、面白い人間じゃなくてごめんなさい。と思う

4、本当に私といて楽しいのかな。と思う

5、私の話を聞いてこいつつまらんなって思われてるんやろうな。と考える。

6、寂しい。

7、余計ひねくれる。

8、私なんて。。。

 

なんとも綺麗な連鎖であろうか。

 

マイナスとマイナスをかけて逆にプラスになってるんじゃないかと思わせる。

 

ここで、彼女(後輩)がどうして私にとって羨ましい存在になりえたのか。

 

発展を導き出せたのか。ということがきになる!

 

私が考えたまず一つ目の理由は、

 

彼女は

 

「自分は何が好きで、どういうことをして生きているか?ということが明確」

 

なのだ。

 

彼女はどういう風に自分を紹介したかわからないが、

 

設計事務所で設計の仕事をしながらロゴをデザインしたりもしている。

当然聞いた側からすれば「あああなたはデザインが好きなんだな〜」となる。

(そして彼女は自分の将来のために人脈を作りたいと公言している)

 

私の場合はこうだ。

 

「まあアシスタントですけど、、設計事務所で働いて図面描いたりいろいろ・・」と結構楽しくなさそうに話してしまう。(人脈作りなんて・・そんなかっこ悪いことしたくないわ・・とか見栄を張っている節もあるのだ)

 

そう、そもそも動機に一貫性がないのだ。

 

過去に

「デザインが好きで服飾関係の仕事をしていたけど、ものを作った後の育ち方を知りたくて、建築にきました。」(言葉は多少違うけど)

という理由を語った彼女の話を聞いて、私は彼女のことをマジで尊敬した。

本当にちゃんと自分の頭で考えて違和感を整理整頓してきたんだな。と感じた。

 

違和感や一貫性や素直さっていうものは

やっぱりデザインに対する考え方も筋道が通っている。

自分が作ったものに対する根拠がすごくわかりやすくて、説得力がある気がする。

 

 

はあ、余計私なんて。。となる。

いやいや、でもちゃんと己を攻略しなければ一生こんな感じなんてマジで

無駄な人生送ってる気がしてならん。

 

とそこで己を分析してみたところ

 

どうして私の人生の選択の動機に一貫性がないのか?

そして動機に一貫性があることの重要性とは?

 

という観点で考えてみる。

まず後者。

動機に一貫性があることの重要性をひしひしと感じる私なのだが、

それはどうしてかというと、自分の中で整理整頓をして生きていることの表れだからだと思う。

整理整頓をしていると目指したい目標、理想の自分もわかりやすく片付けられているので進むステップが楽しい。

それは、好きなことを仕事にしている人だけではなく、仕事とプライベートは別と考えている人にとっても同じ。仕事はできる限り人生において時間を咲きたくないと考えている場合、余暇時間を柔軟に過ごしたいと考えると、安定していることが重要だ。早く帰れて給料もまずまず。家から近くて引っ越しはない。とか。そういう仕事を選んだ理由は「余暇に費やす時間を十分に取れる。自由がある。」という動機だ。

 

え?あたりまえじゃね?

と思うでしょ。

 

でも人間そう簡単ではなくて、例外もあるんです。

では前者。

どうして私には一貫性がないのか?

最近自分って本当に一貫性がないなと感じるんですよ。

いや、一貫性というところではあるのかもしれないけど、

その選択の判断基準や心の動き的なところでいうと、ジャンルが「自分の頭で自分の価値観で決めたこと」じゃないんです。と気づいたんです。だからすごいもやもやしながら生きている。

困った。これだと、死んでるのとほぼ変わりません。

例えば

・こういう選択をしたら面白い子だと思われるだろうな。

・こういうことをしたら好かれるだろうな。

・あの人たちはこうだから、これがかっこいい。だから私もこういうスタンスでいる!

 

とかとかね。

全部他人の価値観を真似したり好かれたい対象を意識していたりするんですね。そうそうそう。

自分で書いててめちゃくちゃしっくりきてます。

 

でもそれだと好かれたい対象なんてそこらじゅうにいて、みんなそれぞれ違う人間なのだから、そのたびに自分の人格がコロコロ変わるわけです。

学生の頃なんかはわかりやすくて、

ヤンキーとも仲良くしたいから自分もちょっとタバコ吸ったり口調が荒くなる。

真面目でおとなしい勉強好きな子とも仲良くしたいからいろいろ難しい本とか読んだりおっとりした性格になる。みたいな。(ここで重要なのが、自分の性格やモチベーションまで変わるというところです。口調とか姿勢まで変わるので本当にカメレオンのようで、結局自分はなんなのだ!と。)

 

平野啓一郎さんの本に分人主義という話がありますが、

分人というものがこの違和感の答えとしてあるのかなと思います。

でも、どこまでいっても違和感が拭い去れない。

どんな人に対する自分だしどこまでいってもキャラが変わっても自分は自分ではあるのはわかります。私が自分に違和感を感じているのはそこではなくて、

 

「動機」という点で矛盾している自分がいるんです。

 

昨日は畳の部屋で寝たいと思ったから布団をしいたけど、

今日はベットで寝たいと思ったからベットを買った。

⇧これだと、「心地よく寝たい」という点で試行錯誤してるんだな。という風に一貫しているんですけど、

 

昨日出会った和風の家がめっちゃよかった・・、畳って今時敢えて感あっておしゃれやと思われそう・・だからベッドやめて、布団にしたい!

 

と言いつつ

 

今日いった友達の家がめっちゃ可愛い部屋に住んでてベッドがおしゃれすぎて、みんなめっちゃ大絶賛やったから、私もあれよりもうちょっとレベル高めの変化球のウォーターベッドにしたい。

 

みたいな。(わかりにくいかw)

これが結局好きなインテリアに囲まれて素敵な暮らしがしたい。

その理想系はいろいろあるけど、結局は自分の好きなもの。。

っていう考え方ならまだしも、そこに他人から見てどうなんか。

っていうのが絶対絶対入ってくる。「他人」っていっぱいいるんやからさ。。

 

だから、結局外面だけよくて中身がなくなっちゃうし、

〜とは「  」あるべき。という凝り固まった考え方ができてくる。

あの友人たちと仲良くなるためには自分が「  」というキャラでいなくてはならん!みたいな笑

わけわからんよねw

 

ではなぜそんな考え方になったのか?

それは小さい頃に超八方美人だったから。

女子3人で仲がよかった?小学校時代、

一生懸命2人の機嫌を取らないとハブられるという危機感があった。

1年くらいにいじめっぽいことをしたりされたりして、ハブられることがめちゃくちゃ怖かったし寂しかった。

そんな風に顔色を伺っていたのは、小3〜6年くらい。

 

そんな生活送らなければよかったのにw

 

って一蹴されそうだけれど、私は引っ越しで奈良県の小学校にきて、友人がいなかったので、登下校もばあちゃんのバイクの2ケツに乗ったりして、マジでひとりぼっちだったw

そんな時にできた友達がそんな感じで、まあ小さい頃だから単純に自己防衛する手段として勝手に身についていった。

 

そしたら大人になった今も、

 

みんなに好かれたい。嫌われたくない。

仲間に入れて。私も面白い人たちの仲間に入りたい!

でも、自分は面白い人じゃない。特技もないし、顔も可愛くないし、自慢もない(弟と同じ誕生日なことくらいだ!)とばかり思っていると

 

自然に動機が他人目線になり、矛盾がおこり出す。

今の仕事もきっとそうだ。

 

建築の仕事ってなんかかっこいいと思われそうだし、面白い人たちと仲良くなれそうだし、、、

 

でも、自分のできなさ、不器用さ、ずさんさ、デザインの下手さ、ものの見る目のなさ、もうキリがないくらいマイナス面がさらけ出される。

 

誰からも必要とされてないんだ。いや、私を必要としてほしい人たち界隈では

もっと面白そうなことが起こっていて、でも私は常に蚊帳の外なんだ。

 

って思うことが常なのだ。

 

今の仕事はとてもじゃないけど、好きじゃないとできない分野。

まあ興味はあるけど、だけじゃつづけるのが大変なのです。

 

 

 

どっか遠くで再スタートしたい。

 

岡山 日本 にいたら羨ましいことばっかりだから

世界一周にでも行ってやろうか。

こんなことまで考えるようになってしまいました。

 

そうそう、世界一周に1月から1年〜1年半くらいいくのですが、

 

主人にはちゃんとした理由がある。(私は逃げたいだけw)

「世界一周して海外でも自由に暮らせるんだぜ!ということを証明したい。」

 

・・しっかりしとるなあ。

 

そういえば今朝見かけたブログや友人から聞く話によると、

岡山から世界一周にいって活躍している夫婦がいるそうだ。

岡山の結構でかいイベントをしていた夫婦。

その人たちのブログを読んでたら本当に、嫉妬極まりない。

注目されたいのか?私は。いや、そんなことないはず。でも、羨ましいと思う。

なぜなのだろう。ちやほやされたいのかなあ。なんか違う。

でも、みんなから愛されている人。必要とされている感じがする人。

多分そんな人たちを見て心から羨ましい、そして妬ましいと思っている。

でも、そんな人たちは多分他人のことはどうでもよくて

(それは言い過ぎだけど)自分のやりたいこと、好きなことにまっしぐらなこと

が多い気がする。

さらに、元気で明るい。ひねくれたりしないし、なんのひねくれやねんwて感じ

なのだ。

そしてまたそれが羨ましいと思うw

ひねくれものの私にとって、「ひねくれる」という手段はもうそれはそれは楽な

ようでいて疲弊がすごい。

のにかまってちゃんなのでやめられないのだ。

 

あーだこーだ言っているが、

結局この問題の解決策、攻略法はただ一つ。

「自分の」好きなことだけを損得勘定抜きでダーーーーー!ってやる。

そこに一切の損得勘定は入れてはいけない。

誰かに好かれそう。とか、かまってもらえそう。とかそういうことじゃなくて、

ただただ、自分がす き だ!!!!と思えることをだーー!ってやる。

「そうすればフタ開けたら仕事になってて、人から必要とされてて、、みたいに

なっている。」ということも考えない。

それを考えてたらいつまでたっても抜け出せない矛盾のくせ。

 

みんな好きなことがないはずない。

まあ興味あるな。って思うことでいい。と思う。

なんとなく、雑多にアウトプットして、のちに整理する。

自分がどうしてそれが好きなのか。

それの繰り返しでpureになるものがあるはずだ。

少しでも自分の時間を生きるために工夫をしていきたいと思っている人に届けば

いいなあと思う。