ものと幸せの関係性をテーマにした哲学カフェに参加した話。
哲学カフェ 全国で行われているそうだが、岡山でも噂には聞いていたけれど
今回初めて(初めてなのに開催者側として)参加した。
名前を名乗らずとも繰り広げられるそれぞれの思考。
人は考えることなしに生きてはいけないように、何かきになることについて
「こういうことなのかもしれない」とラベルを張りたくなるのかもしれない。
断捨離はなぜするのか。どうしてものがない方が幸せなのか。本当にそうなのか。
ものには機能だけではなく思いやストーリーコミュニケーションと言う見えない何か別
の価値があるのではないか。その見えない何か。人それぞれの違う経験則に従った価値観でものと関係しているからこそ単純な答えがない。
哲学カフェでの話は止まることがなかった。
本当に面白かった。
まず、視野が広がる。意外と自分の悩みや不可解なことが簡単に紐解けたりした。
そして、自分の思考の癖がわかった。
私は「いいことを言わなくちゃいけない。面白い発言をしなくちゃいけない。」
そう思いながら参加する癖があるなと気づいた。頭悪そうって思われてないかな。
声震えてるって思われてないかな。そんなことばかり気になっていることに気づいた。
人の意見に関する質問や興味というより「自分はこうだ」とばかり主張したがる自分に
気がついた。見て欲しい。聞いて欲しい。かまって欲しい自分に気がついた。
哲学カフェはテーマに対する知見が広がるだけでなくて、
そこからまた問いが生まれる。
問いからまた対話になる。思考が似ている人がいたら耳がピンと立つ。
自分の何歩先も考えを巡らせている人がいたらすごく興味がわく。
すべての人が違う考え方で生きているかもしれないから引き出しをたくさん分けてもら
える場所だった。
そして「腑に落ちる。」が「安心する」になっているんだろうなと思う。